六曜ってなにさ

 

先日の記事で書いたのですが、

 

「今日は日がいい」「今日は午後からよくない」っていうのは大抵が

六曜」と言われるものについて言っています。

大安とか友引とかのアレです。

 大安は結婚式によくて、

友引はお葬式によくない、

どういう由来や、根拠があるものなんでしょう?

まずは、

 

六曜とは?

 

先勝・・・せんしょう・さきかち

友引・・・ともびき

先負・・・せんぷ・さきまけ

仏滅・・・ぶつめつ

大安・・・たいあん

赤口・・・しゃっこう

 

の6種類あります。

 

一般的に言われていることとして、

 

大安

・結納、挙式などすべてにおいて吉。
・全ての事に、大吉で、積極的に行動すると良いでしょう
・大安吉日で最良の日とされる。

 
赤口

 

・平穏な日、特に正午前後の時間は吉。

・正午のみ行動は、良いでしょう。朝方と夕方の行動は、控えましょう。

・午が吉とされていますが、瞬間的な時間ではなく、午の刻(11時から1時)と解釈し

広く理解して、良くも悪くも好みも嫌れもしない日です。

・この日は正午を中心に良い日とされています。

 

 

先勝

 

・何事も即断してすぐ実行すれば吉 ・速喜、則吉で急ぐこと吉、午後は凶というよりも午前中からいい日です。
・午前中の行動等は吉で、良いでしょう。午後からの行動等は、控えましょう。
・この日は急ぐ事が良いとされています。

 

 

 

友引

 

・大安の次に良い日とされています
・朝方と夕方は吉で、勝負事、葬儀等は控えましょう。正午は凶。

・速、流速がなまって“ゆういん”と呼んでいた。いいことは友をひくというとてもよい日です。

・この日は婚礼には大安と同様に良い日とされています。とくに夕刻は吉といわれています

 

 

先負

 

・静かなる事に用いて吉、午後よりすべて吉。

・午前中の行動は、控えましょう。午後からは、落ち着いて行動すれば、良いでしょう。

・この日は婚礼の様な静かな物は良いとされており、とくに午後は大吉といわれています。

・ともと、周吉、小吉の善日で激しいことを避け控えめにすれば吉の日です。

結婚式のように、静かで厳かな催事は、吉日のよい日です。

 

 

仏滅

 

・祝い事には適しません

・行動は、控えましょう。病気等になった時は、長引くでしょう。

・この日は昔から何事にもよくないといわれています。

 

 

 

 

もともとは日の順序を数えるために生まれたもので、

 

六曜の順序(決め方)は、旧暦の1月1日の先勝から始まり、月末まで割り当てられます。

 

翌2月の1日は次の友引から始まり、

以降

3月1日は先負、

4月仏滅、

5月大安、

6月赤口

 

という順に、

 

7月以降7月1日の先勝から順次12月1日の赤口まで割り当てられます。

 

 

 

中国から伝えられたもののようですが、中国ではとっくに使われなくなっているそうです。

 

日本でも江戸時代には、下火だったようですが、

 

明治になってから復活したもののようです。

 

 

 

 

 

六曜の由来~

 

 

中国の小六壬(しょうりくじん)という占術をもとに、つくられたものだそうです。

 

日本には、平安〜鎌倉時代末期に伝来したといわれ、時代とともに名称も変遷して、

 

現在の六曜になったといわれています。

 

鎌倉・室町時代・・・大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡

 

寛政・享和頃・・・泰安・流連・則吉・赤口・周吉・虚亡

 

現代・・・先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口

 

 

暦に取り入れられたのは、徳川末期以来で、明治改暦以降に広く用いられるようになったそうです。

 

 

 

 

~各名称の由来~

 

先勝・先負

軍略上の秘伝である「洞専手三密之大事」からの由来と 言われている。

室町、戦国時代の武将のの間で、開戦日の吉凶を 占うために用いられていたと言う。

 

 

 

友引

 

小六任の留連を起源としている。 「留連」は、赴任・入学・求師に凶日とせられた。

この「留連」が日本で「流連」と改名され、 平安時代からの方角と、

日取りの迷信の「友曵方」と 混合して、「友引」になったと言われる。

葬儀を忌むのは「友曵方」の伝承である。

 

 

 

仏滅

 

小六任の「空亡」を起源としている。 その「空亡」は干支の組み合わせから生まれたもので、

六甲空支法の「空弧」と「虚亡」を合わせたものと言われる。 これを「仏滅」と改名した。

 

 

 

大安

 

小六任の大安を起源にしている。

 

 

 

赤口

 

小六任の「赤口」と宿曜經の「願不成就日」と 平安時代に流行した「赤舌日」とを

混合したものと 言われている。

 

 

 

つまりは時間を占うものが日を占うものに変化して、

明治の改暦のときに政府が、

近代化にあたって、占い的や迷信的なものは使わないようにってことで、

あくまで「日常の(民間的な)節目」として残っているってことかな?

 

 

 ・・・調べてみると、

諸葛亮やら安倍晴明とかなんかすごい名前が出てきますね。

こりゃだめだ、一朝一夕に行くわけないや。

 

おいおい調べてみたいなと思うくまこであった・・・